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音楽の話がメインの日記帳です。

念願かなってサン・キル・ムーンを見られた感想文のようなもの



 スロウコアを評して「グランジ時代のアンビエント」と言っていた方がいて大いに納得したし、そのフレーズ自体の語呂の良さもとても気に入っている。しかし最近思うようになったのが、アンビエントという単語の機能的な意味を重視するならば、僕にとってスロウコアはバックグラウンドミュージックでないという意味でアンビエントではないということ。なぜなら、「ながら聴き」の多い僕がスロウコアを聴くときだけは音楽それのみに集中して聞くからだ。また、PCを通して音楽を再生することが圧倒的に多い僕が、CPUのわずかな騒音を嫌って、PCをシャットダウンして聴くからだ。つけっぱなしのPCをわざわざ切って、ひとりきりの部屋で音楽に向かう。逆説的だが、スロウコアという音楽について、僕が惹かれるのはその繊細さゆえの贅沢さである。
 さて、そのスロウコアというジャンルの草分けとなった・・・という枕詞をこのブログで用いるのは果たして何度目かわからないが、レッド・ハウス・ペインターズというバンドがいる。その中心人物であるマーク・コズレックによる新プロジェクトがサン・キル・ムーンである。英語版Wikipediaによればもともとサン・キル・ムーンはレッド・ハウス・ペインターズの名称を変えただけのつもりだったようだが、1stアルバム『Ghosts of the Great Highway』の批評的成功以降、サン・キル・ムーンはマーク・コズレックによるソロ・プロジェクト的な色彩を強めていき、(間のキャリアを網羅できるほど古くからのファンでないため割愛するが、)彼は昨年『Benji』というマスターピースのリリースに成功する。そこにはもはやスロウコア的要素はほとんど存在せず、またかつての「美しいメロディ・メイカー」的な評価より「稀代のストーリー・テラー」としての評価が重要視されるようになった。20年を超えるキャリア、その中で生み出された膨大な作品とリリース名義を経て、彼の音楽家としての焦点は大きくうつろってきた。今回のライブは、彼の音楽に何を求めるかで大きく評価が分かれたかもしれない。

 バンド・セットでコズレックが来日をするのは、彼のこれまでの長いキャリアにもかかわらず今回が初めてのことである。『Benji』を引っさげてのツアーではあるが、2013年にリリースされた The Album Leaf の Jimmy Lavalle とのコラボ作『Perils From The Sea』や、Desertshore とのコラボ作『Mark Kozelek & Desertshore』からの曲も多く披露されているのはそうした編成の事情もあってのことだろうか(なお、セットリストは熱心なファンによって Setlist.fm に再現されている)。ただし、共作という体裁ながら、『Perils From The Sea』ではコズレックのパーソナルな作風が強く打ち出されている(日本盤ではサン・キル・ムーン名義となっているが実際にはマークのソロ作にジミー・ラヴェルが参加しているという形である)。『Mark Kozelek & Desertshore』も同様。また、レッド・ハウス・ペインターズにコズレックとは別の角度からオリジナリティを与えていたのはシューゲイザー以降を意識させるギター・サウンドであることは論をまたないが、今回の来日メンバーにはギタリストが含まれていない。
 回りくどくなったが要するに、このライブは「バンド・セットのサン・キル・ムーン」と銘打ちながらその本質はやはり、マーク・コズレックの単独ショウだったということである。まあ、このライブを目撃した人にとってはそんなことは自明だろうが・・・。

 コズレックはどの曲もまずスティック(もしくはブラシ)を右手にとり、立ったままシンバル(もしくはフロアタム)をシンプルなリズムで叩きながら歌い始める。半分以上の曲で、彼の代名詞的なアコースティック・ギターのアルペジオはキーボードに置き換えられていた。あくまで強調されていたのはコズレックの歌だけだった。「Richard Ramirez Died Today of Natural Causes」ではそのギターのラインすら放棄され、ごくシンプルなベースラインをキーボードが鳴らし、ドラムスが最小限のリズムだけを刻む中、ほとんどメロディすらないリリックを吐き出すように歌っていくコズレックの声には、次第に力が入り始める。後半はほとんど怒鳴っているかのようだった。
 僕のほんの数メートル先に立っていたコズレックは、でっぷりと腹が出て、地味な服を着た、「アメリカ保守層の白人中年」のパブリック・イメージを体現するかのような風貌をしていた。ステージ左手にてひっそりと出番を待っているアコースティック・ギターにはいつまでも触る気配を見せず、猫背気味に立ったままスネアをぶっきらぼうに叩きながらハンドマイクで歌う彼のルックスはお世辞にも格好良いとは言えなくて、ああ、僕が去年どうしようもなく打ちのめされた『Benji』はこういうアルバムだったよなあ・・・という感慨が押し寄せてきたのだった。ちなみに彼がスタンディングのままドラムを叩いていたのは、自分がリズムを取りやすいように、という理由と、メンバーが曲に入りやすいように、という理由以外に意味はなかったように思う。ツインドラムと呼べば聞こえはよいが、そもそもコズレックは曲の途中から叩くのをやめて、ドラマーの Mike Stevens にリズムを一任していた。

 7曲目、「Jim Wise」でようやく彼はギターを手にとった。それまで多勢を占めていたメランコリック曲調からやや外れたキュートなトラックは今日もっともポップな1曲だったと思う。
 昨年中に先行公開され、6月に早くもリリース予定のサン・キル・ムーン次作『Universal Themes』にも収録予定の新曲「The Possum」は、『Benji』を1曲にまとめたかのようなめまぐるしい展開をみせる。この日ここまでごくシンプルな4/4拍子の曲しか披露していなかった彼が初めて見せた6/8拍子から始まり、中盤で唐突に全てのリズムが消えてコズレックのギターにポエトリーが乗せられる瞬間は鳥肌ものだった。ドラマーと息を合わせながら変拍子を交えつつクライマックスのワルツ風のパートまでいびつに歩みを進めていくこの曲は、彼の過去のリリースには見られなかった実験性の塊である。ただ強調したいのは、この曲が彼の過去のリリースには見られなかったようなエキセントリックな曲でありながらも、この日のライブで1曲だけ浮いていたというわけではないことだ。それは取りも直さず、この日のライブが「メロディ・メイカーとしてのコズレック」ではなく「ひとりの偏屈なストーリー・テラー」たる彼のみを照射していたからだろう。コズレックの身の回りに起こった出来事を、比喩や詩情を排したストレートな歌詞で、手癖のギターに乗せてブツブツとつぶやく。マーク・コズレックという人はいま、たったそれだけで名盤を作ってしまえる境地に達している。思い返せば、この日のライブに「美しいメロディ」は無かった。
 曲間のMCはライブが後半に進めば進むほど冗長になり、マスクをした女性ファンをからかってみたり、観客のオーストラリア人弄りに終始したり。開演前に「演者からのお願い」として「携帯電話はマナーモードでなく電源を切ること」と念を押されていたこともあって、ライブ序盤の観客には緊張感が充満していたが、彼のこうしたトラッシュ・トーク(とそれに爆笑しているオーストラリア人ファンたち)のおかげで中盤以降はリラックスした空気へと変わっていった。かと言って当初の緊張感が消滅したかといえばそうでもなく、逆にかなりシリアスな曲を歌っている途中でも(彼も意図せずだと思うが)笑える瞬間があって、「MCはユーモラス、演奏はメランコリック」と二分できるようなライブではなかった。たとえば、「Dogs」のときだったと思うが、歌詞と歌詞の間にあまり間がないのにミネラルウォーターのキャップを開けて水を飲もうとして、発声している最中の口の中に水を放り込んだからボーカルがモゴモゴになってしまったのは笑った。あるいは、件のマスクをした女性ファンをステージに引っ張りあげ、彼女にドラムを叩かせて1曲を演奏しきったのはほとんどギャグだったが、それが「Truck Driver」という『Benji』でも最も暗い曲での出来事だったというのはやはりアンビバレントだ(しかも、アンコールの最後の曲だった)。


 
 『Benji』とは「枯れた男にそれでも残る意思」のアルバムだと思う。ポスタル・サーヴィスのライブを見て打ちのめされたコズレックが、いま自分にできる音楽はこれだ、と編み上げた「Ben's My Friend」は、この日もとうとう披露されなかった。編成の問題やリリックの詰め込みすぎなどの障害はもちろんあるだろうが、この曲がライブで一向に演奏されないのは、やはりこの曲が『Benji』の最後に収まっていてこそ意味があるからだろう。いまコズレックがこういうセットでライブをやるということには彼なりの必然性があったのだろうと思う。ちなみに、この日のライブではセットリストを予め決めておらず、その場でコズレックが決めていたらしいという情報もある。「Carry Me Ohio」や「Lost Verses」、あるいはRHP時代まで遡って「Mistress」なんかを聴きたくなかった、と言えば嘘になるが、僕は今日のセットリストに満足している。それは僕がスロウコアという音楽に向き合うときに感じる贅沢さにも似た、決してBGMにはなりえない言葉だけが紡がれたステージだったからだろう。
 「なんでそんなに『Benji』が好きなんだ? どうせピッチフォークに洗脳されてるんだろ?」とコズレックは一人の若いオーストラリア人ファンに向かってジョークを飛ばした(この日一番の笑いがおこった)。昔からのファンの中には「『Benji』の高評価には正直戸惑っている」という声も少なくないが、それはもしかしたらコズレック自身にとってもそうなのかもしれない。でも彼はそういう戸惑いも、逆に喜びも、なにも表には出さなかった。「Among The Leaves」より昔のリリースからは1曲もやらなかった。ファンサービスのリクエストもなかった。ただ淡々といまの自分の信じる音楽を披露し、僕たちを煙に巻くようなトラッシュ・トークを披露した彼は、僕ら程度が太刀打ち出来るレベルをはるかに超えて老獪だった。50歳にもなっていない彼に対して「老」と呼ぶのは行き過ぎな気もしないではないが。2時間半にも及んだライブは、決して「終わってしまえばあっという間」なんて感想は出てこない、ずっしりと重たいひとときだった。

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